都市銀行の歴史は、明治初期に近代的な銀行制度が導入された時代までさかのぼります。
1872年の国立銀行条例、1876年の制度改正、財閥系銀行の成長、戦後の都市銀行13行、バブル崩壊後の金融危機、日本版金融ビッグバンを経て、現在は5行体制となっています。
| 時期 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1872年 | 国立銀行条例を制定 |
| 1873年 | 第一国立銀行が開業 |
| 1876年 | 国立銀行条例を改正し、銀行設立が拡大 |
| 1879年まで | 第一国立銀行から第百五十三国立銀行まで153行が設立 |
| 明治後期〜戦前 | 財閥系銀行・有力普通銀行が成長 |
| 戦後 | 大手普通銀行が全国規模の営業を拡大 |
| 1968年 | 都市銀行の考え方が整理され、13行が都市銀行として分類 |
| 1990年代 | バブル崩壊と不良債権問題が深刻化 |
| 1996年以降 | 日本版金融ビッグバンと金融再編が進展 |
| 2000年代 | 三大メガバンクとりそなグループへ再編 |
| 現在 | 統計上は都市銀行5行 |
明治政府は、近代産業の育成と貨幣制度の整備を目的として、1872年に国立銀行条例を制定しました。
国立銀行は「国が経営する銀行」という意味ではなく、国立銀行条例に基づいて設立された民間銀行です。
アメリカのナショナルバンク制度を参考にし、一定条件の下で銀行券を発行する仕組みを採用しました。
制度創設当初は、銀行券を金貨と交換する義務など条件が厳しく、設立された国立銀行は4行にとどまりました。
1873年には第一国立銀行が開業し、その後も第二・第四・第五国立銀行などが設立されました。
1876年に国立銀行条例が改正され、銀行券発行に関する条件が緩和されました。
これにより全国で銀行設立が進み、1879年までに第一国立銀行から第百五十三国立銀行まで、合計153行が設立されました。
数字を冠した「ナンバー銀行」は、この国立銀行制度の認可順に由来します。
日本銀行が1882年に設立され、その後、日本銀行券へ紙幣発行が統一されると、国立銀行は銀行券発行機能を失いました。
多くの国立銀行は普通銀行へ転換し、地域銀行や後の大手銀行の基礎となりました。
明治期には、三井、住友、安田、三菱などの財閥系銀行や、第一銀行などの有力銀行が発展しました。
三井銀行、住友銀行、三菱銀行、安田銀行などは、商社・鉱工業・貿易・企業金融と結び付きながら規模を拡大しました。
その後、これらの銀行は合併・商号変更を重ね、現在の都市銀行・メガバンクの系譜へつながっています。
戦前には、金融恐慌や銀行制度の整備を背景に、銀行の合同・統合が進みました。
1927年の金融恐慌では多くの銀行が経営不安に陥り、その後、銀行数は大きく減少しました。
戦時期には統制経済の下で銀行合同が促進され、大手銀行への集約がさらに進みました。
戦後、財閥解体や商号変更を経て、大手普通銀行は復興金融、高度経済成長、企業の設備投資を支えました。
企業集団との関係、全国規模の店舗網、預金・融資・決済機能を背景に、日本経済の成長を支える中心的な金融機関となりました。
1968年、大蔵大臣の諮問機関では、都市銀行を「普通銀行のうち6大都市またはそれに準ずる都市を本拠として、全国的にまたは数地方にまたがる広域的営業基盤を持つ銀行」と整理しました。
当時、次の13行が都市銀行として分類されました。
ただし、都市銀行は銀行法上の独立した免許区分ではなく、統計・業界分類として用いられる名称です。
1950年代後半から1970年代の高度経済成長期、都市銀行は企業へ大量の資金を供給しました。
製造業、商社、建設、流通などの設備投資を融資で支え、給与振込、手形交換、企業間決済などの金融インフラを整備しました。
個人向けには、普通預金、定期預金、住宅ローンなどのサービスを拡大しました。
1980年代には、金利自由化、企業の資本市場からの資金調達拡大、外国銀行・証券会社との競争などにより、都市銀行の経営環境が変化しました。
大企業が社債・株式市場から直接資金を調達するようになり、都市銀行は不動産・建設・流通などへの融資を拡大しました。
1980年代後半のバブル期には、地価・株価の上昇を背景に、不動産担保融資が急増しました。
金融庁の破綻事例調査では、都市銀行が建設・不動産や流通など特定業種への融資を拡大したことが、その後の不良債権問題につながったと分析されています。
地価が上昇し続けることを前提とした融資は、バブル崩壊後に多額の不良債権となりました。
1990年代初頭に株価・地価が下落すると、企業や不動産事業者の返済能力が悪化し、都市銀行は巨額の不良債権を抱えました。
金融機関の経営不安が広がり、北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行などの破綻・経営危機が発生しました。
都市銀行は、不良債権処理、自己資本増強、公的資金注入、事業再編を迫られました。
北海道拓殖銀行は、都市銀行の一角を占めていましたが、1997年11月に経営破綻しました。
都市銀行の破綻は、金融システムへの信頼を大きく揺るがし、その後の公的資金制度や金融監督体制の整備を促しました。
1996年11月、政府は「我が国金融システムの改革―2001年東京市場の再生に向けて」を掲げ、日本版金融ビッグバンを進めました。
改革の理念は「フリー、フェア、グローバル」で、次のような制度改革が実施されました。
金融ビッグバンそのものが銀行合併だけを目的としたわけではありませんが、規制緩和と国際競争の進展は、大手銀行再編の大きな背景となりました。
金融持株会社が解禁されると、銀行、証券、信託、カードなどを一つのグループで運営する体制が広がりました。
単独銀行の合併だけでなく、持株会社の下で複数金融機関を統合する再編が進みました。
三菱銀行は1996年に東京銀行と合併し、東京三菱銀行となりました。
三和銀行と東海銀行は2002年に合併し、UFJ銀行となりました。
その後、東京三菱銀行とUFJ銀行が2006年に合併し、三菱東京UFJ銀行が発足しました。
2018年に商号を三菱UFJ銀行へ変更し、現在に至ります。
三井銀行と太陽神戸銀行は1990年に合併し、太陽神戸三井銀行となりました。
1992年にさくら銀行へ商号変更し、2001年に住友銀行と合併して三井住友銀行が発足しました。
第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行は、2000年にみずほフィナンシャルグループを設立しました。
2002年に、個人・中小企業向けのみずほ銀行と、大企業向けのみずほコーポレート銀行へ再編されました。
2013年に両行が合併し、現在のみずほ銀行となりました。
協和銀行と埼玉銀行は1991年に合併し、協和埼玉銀行となりました。
その後、あさひ銀行へ商号変更し、大和銀行などとの再編を経て、りそなグループが形成されました。
2003年に、りそな銀行と埼玉りそな銀行が発足しました。
りそな銀行は全国主要都市で営業し、埼玉りそな銀行は埼玉県を中心に地域密着型の営業を行っています。
かつて13行あった都市銀行は、破綻、合併、持株会社化、グループ再編によって集約されました。
| 現在の銀行 | 主な前身銀行 |
|---|---|
| 三菱UFJ銀行 | 三菱銀行、東京銀行、三和銀行、東海銀行など |
| 三井住友銀行 | 住友銀行、三井銀行、太陽神戸銀行など |
| みずほ銀行 | 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行 |
| りそな銀行 | 大和銀行、あさひ銀行系統など |
| 埼玉りそな銀行 | 埼玉銀行、協和銀行、あさひ銀行系統 |
現在の統計上の都市銀行は、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行、りそな銀行、埼玉りそな銀行の5行です。
再編後の都市銀行は、国内預金・融資だけでなく、次のような幅広い業務を提供しています。
都市銀行は全国規模の店舗網を維持しつつ、銀行アプリ、ウェブ通帳、オンライン相談、キャッシュレス決済へ移行しています。
店舗統合や窓口の予約制が進み、日常取引の中心はスマートフォンへ変化しています。
1873年に開業した第一国立銀行です。現在のみずほ銀行の系譜の一つです。
国営銀行ではありません。国立銀行条例に基づいて設立された民間銀行です。
1879年までに第一国立銀行から第百五十三国立銀行まで、153行が設立されました。
1968年に整理された分類では、13行が都市銀行として扱われました。
バブル崩壊後の不良債権問題、金融自由化、国際競争、自己資本強化などが背景です。
1996年以降に進められた金融システム改革です。規制緩和、外国為替自由化、金融持株会社解禁などが行われました。
日本銀行・全国銀行協会の統計では、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行、りそな銀行、埼玉りそな銀行の5行です。
都市銀行の歴史は、明治期の国立銀行制度と財閥系銀行の発展から始まりました。
1879年までに153の国立銀行が設立され、戦後には13行が都市銀行として分類されました。その後、バブル崩壊、不良債権問題、日本版金融ビッグバン、合併・持株会社化を経て、現在は5行となっています。
現在の都市銀行は、巨大金融グループとして国内外の金融を支える一方、店舗中心からアプリ・デジタル決済中心へと新たな変化を続けています。
